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このエッセイが書かれた頃の音楽業界というのは好景気のピークを迎えた頃だった。まだパソコンもそんなに普及していなくて、ラジオ番組にはハガキによるリクエストがたくさん届けられていた。もちろん、音楽配信なんか遠い未来の出来事として語られていた。加藤ひさしもローリーと共にテレビのバラエティ番組に出たりして、バブル経済崩壊後とはいえ、地上波も音楽業界もまだなだ活況を呈していた。
そんな浮かれた雰囲気のなかで書かれたエッセイは、大抵が、今、読むと薄ら寒い。おそらく無自覚なノーテンキさのせいだろう。
しかし、どんな状況下にあっても、浮かれないのが加藤ひさしだ。というか、次から次にとんでもないことが起こるので、浮かれてはいられない。そして、その悲惨な事件の数々を、加藤ひさしは、あからさまに書いている。それが面白くてしょうがない。普通は、アーティスト・イメージに傷がつくという理由で、闇に葬られるのだが、加藤ひさしはそんな野暮なことはしない。『いいことあるさ』の面白さは、加藤ひさしの自虐的な切なさと笑いがギリギリのところでせめぎ合っているところにある。そして、傷口に塩を塗るような古市コータロー画伯の「なめた」挿絵が、このエッセイを珠玉の作品として昇華させている。これはまさしく『池袋交差点24時』の原点なのだ。
このエッセイは、最初は全編を公開するつもりで、つくりはじめた。加藤リーダーから「これが全部の原稿ね」といって、手渡された。ところが、この原稿を入力してくれたYさんが「なんかこれ中途半端に終わってるんですけど、これで大丈夫なんですか?」といってきた。このエッセイを連載していた雑誌は廃刊になってしまい、多分、連載も突然、打ち切られたのだろうと思い込んでいた。誰もが疑わずリリースしたのだが、リリース後、ファンの指摘があって、残りが存在したことが発覚した。
後半はすでに手元にあって、どうやってリリースするかを思案している最中だ。もしかしたらiPhone&iPadアプリでリリースするかもしれない。その場合、前半をPDFを買ってくれた方のために、後半は無料ダウンロードで提供するつもり。アプリの方は全編まとめたものを提供したい。値段は上がると思う。本当は同額で提供したいのだが、アプリの価格設定には何種類か金額があって、それ以外の定価はつけられないのだ。
(文/森内 淳・スタジオ・エム・オー・ジー 代表)
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