対談●スカンク&ヒューゴ 司会●コワダ TEXT&ILLUSTRATION●STUDIO M.O.G.
コワダ:今回は『Pina 3D/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』を観に行きました。
スカンク:本当に素晴らしい映画だった。
ヒューゴ:スカンク大絶賛(笑)。
スカンク:この映画、いろんな意味で凄いよ。
ヒューゴ:いい映画だったね。
コワダ:まず映画のアウトラインを説明しますと、監督がヴィム・ヴェンダースなんですよね。
スカンク:そう。で、このヴィム・ヴェンダースがピナ・バウシュと親友だったってことがポイントだね。
ヒューゴ:それは鑑賞後に教えてもらったんだよね。
スカンク:EYESCREAMの編集長に教えてもらった。ここはポイント。
コワダ:ピナ・バウシュというのは世界的に有名なダンサーで、創作ダンスを世界中で公演していて、この世界ではカリスマ的な存在なんですよね。そのピナ・バウシュが亡くなって、彼女の創作ダンスの世界をドキュメントする目的でつくられたのがこの映画なんですよね。
スカンク:ピナ・バウシュのドキュメンタリーを撮るという話が舞いこんできたら、ヒューゴだったらどうする?
ヒューゴ:当然、ピナのフィルムをかき集めるよね。画質のいいもの、悪いもの、一切関係なくね。あとは関係者や家族にインタビューする。できれば本人のインタビューフィルムを探し出して、それを時系列で編集する。
スカンク:それがドキュメンタリーのやり方だよね。ピナの偉業をインタビューであぶり出して、そこにピナの過去のフィルムをもってきて肉体化していくという。言わばピナ物語だよね。オレだってそうするよね。
ヒューゴ:でも、この映画、そんなんじゃない。
スカンク:ピナのドキュメンタリーなのに、ピナの映像はほんの少ししか出てこない。ピナがどこで生まれてどこで育ってなんていうヒストリーをとりたてて紹介するわけでもない。
コワダ:不思議なドキュメンタリーでしたよね。
スカンク:で、どんな内容かというと、ただ、ひたすらピナの後継者たちであるヴッパタール舞踊団のダンスを見せていくんだよね。
ヒューゴ:彼らがピナを語ったインタビューがダンス・シーンの間に入るんだけど、それも「ピナは素晴らしかった」と繰り返すだけで、インタビューとしては画期的なものではない。
コワダ:そういうふうに言われると、ドキュメンタリー映画としては今いちのように思えるんですけどね。ドキュメンタリーって、映画館を出るときに、対象になった人やモノのことについて、知識として身についてなきゃいけないですからね。
ヒューゴ:少なくとも、知った気になってないと駄目だよね。
スカンク:ところが、ピナについて具体的に語られていないこの映画を観たあと、ピナについて知った気になっているオレがいるんだよね。
コワダ:そうなんですよね。
ヒューゴ:じゃライブ・ドキュメンタリーなんでしょう?っていう人もいるかもしれないけど、そうじゃないんだよね。
スカンク:若い後継者たちのダンスを見せることによって、ピナの何たるかをドキュメントしている、というのが一番正しいかもしれないね。
ヒューゴ:ピナの魂も命も若い後継者の中に生きていて、彼らのダンスをスクリーンに映し出すことによって、ピナがどういうダンサーだったかを伝えているんだよね。
スカンク:彼女がどういう考えでダンスをやっていたのか、彼女にとってダンスとは何か? それが若い後継者たちのダンスからガンガン伝わってくるんだよね。
ヒューゴ:言葉で語らないドキュメンタリーなんだよね、早い話。
スカンク:ピナのストーリーを感じるドキュメンタリーなんだよね。こんなドキュメンタリーの手法があったのかって、ちょっと目から鱗だった。
ヒューゴ:だけど誰もがこのドキュメンタリーを撮れるかというとそうじゃない。
スカンク:ピナのことを知り尽くしたヴィム・ヴェンダースだからこそ撮れたんだよね。観ている最中は不思議でしょうがなかった。
ヒューゴ:なぜピナ無しにピナの思想までが伝わってくる映像が撮れたのか?みたいな疑問はあったよね。
スカンク:あった。そこだけが謎だった。EYESCREAMの編集長からピナとヴェンダースが親友だったって聞いたとき、その謎が解けた。
ヒューゴ:ドキュメンタリーとしては、だからもの凄く画期的な作品だよね。本当に勉強になる。
スカンク:オレ、創作ダンスなんて観たこともなければ聞いたこともないのに、ピナの心とシンクロするような瞬間が何度もあったからね。
コワダ:スカンクはピナのダンスとは何だと思いました?
スカンク:素人のオレがそんなことに言及するのはおこがましいけど、この映画から受けた印象は、やっぱり感情の具現化をピナは目指していたのかな、と思った。
ヒューゴ:それはいえるね。
スカンク:心の中の様子というか目に見えないカタチのようなものを踊りで表現するというか。人の感情は無限だからさ、おそらくピナの探求心が萎えたり、もうここで終わりと思ったりすることはなかったんだろうなって思った。その感情の激しい揺れみたいなものが、オレの心をも震わすっていうかさ。凄いもん作りだしたんだな、この人はって思いながら観てたよ。
ヒューゴ:この映画を観る人によって感じ方は違うと思うんだよね。スカンクのような見方をしない人も圧倒的にいると思う。そこもこの映画の面白さで、ドキュメンタリーってある程度答えを出すよね。どこかこれはこういうことじゃないですかっていう監督のオピニオンがフィルムに焼き付いてる、ところが、この映画は、「ピナのダンスとはこうだったんだ」って断言していないんだよね。
スカンク:たしかにそうだね。その断言しない面白さも、この作品にはあったよね。その答えすら感じ取ってほしいという監督の意思が感じられた。
ヒューゴ:だからこそ、映像の表現がとても重要になってくる。ピナが遺したダンスをどう撮るのか。ライブじゃない、映画というメディアでどう伝えるのか? 伝わるのか?
スカンク:そこでヴェンダースは3Dという演出を投入するんだよね。3Dが流行ってるから3Dを投入するんじゃなくて、これは、よりライブに近づけるための3Dなんだよね。
ヒューゴ:ヴェンダースは、3Dを道具として使ったわけだよね。
スカンク:もしかしたら3Dのテクノロジーを単なる道具として使った初めての映画だったかもしれない。
ヒューゴ:言えた。
スカンク:この映画には3Dでなければならないという必然性があった。だから、この映画を観る人は、可能な限り3Dで観てほしい。
ヒューゴ:つまり映画館で観てほしいってことだよね。
スカンク:DVDやブルーレイは魅力が半減すると思う。多分、同じような感動は得られないと思う。
コワダ:しかも、映像はとてつもなくアートでしたよね。
スカンク:普通、この手の映画でアートなんて言ったら、たいがい、かんに障るんだよ。
ヒューゴ:気取ってんじゃねえよって気分になるよね。スカンク、嫌いだよね。
スカンク:なめんじゃねえぞっていう気分になるんだけど、この映画はそういうふうには思えなかった。
ヒューゴ:舞台だけじゃなくて様々なロケーションで撮ってるんだよね、ヴェンダースは。モノレールの中とか、森とか。それがもう見事なくらい美しくて。そういう穿った感情が入りこむ余地すらなかった。
スカンク:だからここまでやらないとピナの世界を映画で表現することができなかったんだと思う。ここまでやらないとピナに太刀打ちできなかったんだよ。このアートな映像も必然なんだと思う。早い話、ピナがやらせてるんだよね、ヴェンダースに。